2025-02-26

一夫多妻は合法なのか?スカルノ大統領の妻遍歴

最近、日本人の元夫人が政党を立ち上げたとかでよくその名前を見かける。ステイタスとか、お金持ちとか、大多数の人が受け入れやすい考え方なのかもしれないけれど、情報が少ないからといって資源が豊かで裕福な国のイケメン大統領であったかのように解説されるのには違和感を感じざるをえない。

スカルノ大統領は、独立運動の指導者としては偉大な功績を残したが、独立した後の国家元首としてどうだったかというと疑問符がつく大統領だ。経済は困窮、外交は孤立、汚職が蔓延が向けれられるも、反対する者を排除し、終身大統領を認めさせて権力を維持するなど、特に晩年の闇は深い。

宗教的には多妻婚が可能といっても、最高4人までという制限があり、さらに先に娶った妻から許可を得ること、全ての妻を平等に扱わなければならないという条件がある。現代の社会的認識からすると、全ての妻と平等に接することは無理であることを自覚し、1人の妻にとどまれという教訓なのだという解釈が的を得ているように思うが、経済的に可能なら4人までは合法という考え方がまだまだ根強い。

合法といってもそれは宗教上の結婚が許されるだけであって、戸籍上の妻はやはり1人しか登録できない。一般的にいって十分な経済力が必須であり、社会的立場のある人物であればなおさら、そのことで評判を落とさないようにしなければならない。

スカルノ大統領は、合計9人(独立運動家時代に3度、大統領在位中に6人)の妻を娶ったとして知られているが、国のリーダーとして模範となるべき大統領の多妻婚が、自動的に国民から祝福されていたわけでは決してなく、常に社会的、宗教的、道徳的、法律的な批判と困惑が伴っていた。

スカルノ大統領の最初の結婚は20歳の時、周囲が決めた恩師の娘との結婚で、相手はまだ十代半ばだった。大学生のスカルノが妻と一緒に住んでいた下宿屋のおかみさんが、二番目の妻となるインギット夫人。

結婚したばかりの幼い妻と上手くいかない悩みごとを聞いてもらっているうちに愛が芽生えたという。お互いが離婚手続きを済ませてからの結婚。13歳も歳上の妻と暮らしたこの期間、スカルノは活動家として頭角を現し、植民地政府に逮捕され離島で暮らした時にも献身的に彼を支えたことで知られている。

しかし、40歳を過ぎたスカルノは、生徒として夫婦の家の寄宿していた少女、支持者の娘ファトマワティにプロポーズ。20歳の歳の差、彼女をまるで娘のようにかわいがっていたインギット夫人にとっては、思いもよらない裏切りだった。

#Permintaan maaf fatmawati istri bung karno kepada inggit

スカルノがインギット夫人を、子供ができないという理由で離婚。独立運動の大切な時期であり、相手が若すぎることもあって不道徳だという批判と、インギット夫人への同情が世間の反応だった。独立宣言までのスカルノを描いた2013年の映画「Soekarno」も、そのような視点で描かれている。



但しそのような評判も、その後侵攻してきた日本軍の協力者、独立運動の指導者としてのスカルノの重要な活動の方が注目されたこと、またファトマワティ夫人は独立宣言で掲揚する国旗を縫製した国民的ヒロインとしてみられるようになったことで、スカルノが初代大統領に就任する頃にはすっかり過去のものとなっていた。

ところが、オランダとの戦争が終わり新政府が樹立されてから間もなく、ファトマワティ夫人が5人の子供を連れて大統領宮殿を去ることになる。原因となったのは、ハルティ二夫人。スカルノ大統領がジョグジャカルタで式典に出席した際、地元の婦人会によってふるまわれた昼食の伝統料理ロディが美味しかったとかで、大統領が誰が料理したのか尋ねたのが最初の出会いだったという。

#Hartini Isteri keempat 

スカルノ大統領の方は”公式の場には出さないから、彼女を第二夫人として宮殿の一つに住まわせたい” と約束し納得させようとしたが、ファトマワティ夫人は、断固として重婚を受け入れなかった。彼女の家族は、イスラム教の伝統的な悪習慣を改善し近代化を図ろうという宗派の熱心な活動家であり彼女自身も活動家であったことを考えれば、重婚を認めろという方が無理であったと思われる。

夫人はさらに”国民にとって悪い見本となる”ことについても懸念していた。独立戦争終了後、発足したばかりの新政府は、公務員の道徳基準を維持するために、重婚を禁じる法律を制定したばかりでもあった。

大統領は”あなたとの出会いは私の運命です”という熱烈なラブレターを何度も送って求婚した。ハルティ二夫人には離婚歴があり、前夫の間に子供が5人いた。そうではあっても、ジャワの裕福で由緒正しい家柄の出身であり、第二夫人になるだなんてとんでもないと家族からは猛反対を受けた。

乳飲み子を抱えて出て行ったファトマワティ夫人は二度と夫の元に戻ることはなかった。しかし、大統領は別居後もファトマワティ夫人との間の戸籍上の離婚手続きを行わず、ファトマワティ夫人の大統領夫人としての地位は、スカルノ大統領失脚の時点まで変わることがなかった。

#Kisah sukarno ditinggal fatmawati

第二夫人、大統領夫人の代役として公の場に登場するようになったハルティ二夫人だが、国民からはパッシングを受け、最も国民から人気のない大統領夫人だと評価された。それでも肝の据わったひとであったらしく夫が次々とあたらしい妻を迎えたからといって、去ることもなく、後にスカルノ大統領が失脚し、病院で孤独な最期を迎えたときも最後まで寄り添い看取ったたった一人の妻でもある。

スカルノ大統領から離れていったのはファトマワティ夫人だけではない。1956年、独立運動の時からずっとコンビだった副大統領のハッタ副大統領も、大統領との意見の相違からついに副大統領を辞任し政界を去った。論理的で現実的、スカルノ大統領とは互いの欠点を補い合う関係だったが、議会民主主義を維持するか大統領の権限を強化するかで意見が分かれたという。

1955年に行われた初の民主主義選挙により選出された国会は、政党間の対立が激しく何度も閣僚の入替えが発生するなど大変混乱した状況にあった。スカルノ大統領は、「西洋的な民主主義は機能しない」と主張し、ハッタ副大統領は独立の理念である議会制民主主義の維持と地方分権を主張した。

#Hatta meninggalkan soekarno

ハッタ副大統領が去った後1957年、スカルノ大統領は、指導民主制を提唱し大統領の権限を強化、同年末、西ニューギニア領有問題で対立していた旧宗主国オランダ資本の銀行、石油、海運、農園企業に、軍隊を送って占拠、国有企業として接収する。

天然資源(石油、ゴム)の世界的需要は好調であったが、接収後、インドネシア政府主導の企業経営は能力不足で大混乱、利益が出ない一方で汚職が蔓延し、資本撤退、対外関係も悪化。オランダは米国にも協力を要請し西側諸国からの経済制裁を受けることになる。

財政赤字を埋め合わせるため、政府は紙幣を大量増刷してインフレが加速、地方の経済も大混乱の中、農園・鉱業・石油産業のオランダ企業の拠点であったスマトラ島、スラウェシ島では、地方軍・政治家が反乱を起こした。政府が接収した企業の経営が中央の官僚や軍人に任されて、地元には何も還元されないという不満によるものだった。

スカルノ大統領は国軍を派遣し何年かかかってこの反乱を鎮圧した。その際、追撃された爆撃機などから、この反乱に米国が関与しCIAからの資金・武器提供、傭兵派遣があったことも発覚した。これによって、スカルノ大統領は西側諸国への不信感を深め、またこの反乱鎮圧によって影響力を増した国軍に対抗するために、ソ連・中国側からの武器提供や資金援助を積極的に受けるようになった。(これが後に失脚の原因につながる)

実はこの混乱の最中に、大統領は5人目の妻、カルティニ夫人と交際していた。夫人との出会いは、大統領が展覧会で見かけた肖像画が大変印象深かったとのことで、モデルになった女性がガルーダ航空のスチュワーデスであると知ると、大統領が出張の度にアテンドに着くことが彼女の任務になったという。

Kartini manoppo Isteri kelima

彼女もまた由緒正しい家柄の出身で家族から猛反対を受けていた。出身地は反乱がおこっていた北スラェシである。1959年に非公式の結婚、1967年ドイツで男児を出産した。それは国の情勢が不安定だからという理由からだったそうだが、夫人はその後も長く海外で生活した後、帰国したとも離婚したとも言われているがはっきりとした情報はない。

1959年はスカルノ大統領が一党独裁的な体制に移行する大統領令を発行し、議会制民主主義を終わらせた年でもある。中国、ソ連、日本からの経済支援を受けるが経済効果を生まず、物価高騰、物資不足、失業増加、でインフレ率は1000%にも達した。

スカルノ大統領が6人目の妻、19歳のデウィ夫人を娶ったのはそのような状況下だった。当時の学生デモは、大統領は国民のことを全く気にかけていないと猛烈に批判した。夫人の贅沢な暮らしぶり自慢は、困窮の只中にある国民の感情を逆なでし、スカルノ大統領に対する不満の声を更に高めるものだった。

デヴィ夫人と大統領の結婚は1962年、しかしそれ以前にスカルノ大統領には、もう一人の日本人妻がいた。1958年に京都で出会い翌年1959年に、大統領が再び来日した際に結婚、イスラム教徒になり改名もして南ジャカルタの高級住宅街に邸宅を与えられ暮らしていたが、わずか何カ月後、浴室で手首を切り自ら命を絶ち現地で葬られたという。

このことついては、日本語版ウィキペディアに書かれている(金勢さき子さん)

命を絶った理由は、デヴィ夫人への嫉妬であったということなので、結婚してジャカルタに住み始めて間もなく、大統領が別の日本人と交際を始めたことを知って命を絶つことを決めたようだ。彼女の名前は9人の妻の中には入れられておらず、”忘れられた日本人妻”として紹介されることが多い。

Sakiko kanase istri yang dilupakan

大統領は1960年に国会を解散、新たな体制下で共産党が大統領の支持を得て勢力が拡大、マレーシアの独立問題をめぐって西側諸国との関係が完全に悪化する一方で中国共産党と接近していく。このような左傾化が国軍と共産党勢力の関係を緊迫化させる。

1965年にはインフレ率600%ににも達し、その年の9月30日、スハルト陸軍少将(後の二代目大統領)が権力を掌握するきっかけとなる軍事クーデター未遂事件が発生し、スカルノ大統領は徐々に権力を失い1967年に失脚する。

そのような中で、1963年に7人目(23歳の大統領府芸術分野の職員)、1964年に8人目(学生代表として、式典で使用するものをお盆に載せて大統領に渡した高校生)1966年に9人目(大統領宮殿での式典に参加するために選ばれた雑誌の表紙にも載ったことのある賢くて美人な19歳)といったように立て続けに新しい妻を娶っている。

いったいそのように沢山の妻を娶ることにどのような意味があったのかは分からない。現在となっては、武勇伝として語り伝えられるばかりだ。デヴィ夫人についてビジネス的な後援者が背後にいたということはよく語られることだが、他の夫人についても同じようなことがなかったともいえない。

国民として戸籍上登録が認められているのが1人であるならば、宗教婚で4人までオッケーだなんていわずに’愛人’と訳せばよいのにと思いながらも、それも微妙だなと思うのでそのまま妻で統一した。

スカルノ大統領の失脚後、二代目大統領に就任したスハルトはスカルノ一族を大変冷遇したので、元妻たちは(1人を除いて)その後一般人として質素に目立たぬように暮らしたという。

そうではあっても、独立運動時代のスカルノ大統領が提唱した国家理念は、独立運動、独立戦争を通じて国民を鼓舞し、団結を促した重要な要素であり、そして現在までも精神的な支柱になっているということは疑いようがない。

大統領の独立運動家時代の話も過去に書いているので、あわせてお読みいただければと思う。

国民的英雄スカルノ大統領はここから始まった

日本軍統治下で売国奴と呼ばれたスカルノ大統領

トップシークレットだった日本軍の敗戦 独立宣言前夜とスカルノ大統領夫人

G30 から1998年スハルト政権退陣後まで 

2025-02-01

ショベルカー2千台上陸で消滅危機最後の楽園 バイオ燃料促進の行き先 

縄文時代の終りは、狩猟採取から稲作を中心とした生活スタイルの変化に関係するというけれど、インドネシアのパプア州には現在でも、狩猟採取で自給自足の生活を送っている300もの部族が存在する。

彼らの主食は、サゴヤシ。熱帯雨林のジャングルの中のいたるところに生息し、切り倒した後の根から新芽が出てくるから、植え付けも必要なし。天候に左右されず、肥料も農薬もいらず、草刈もりもいらない。

サゴヤシから取り出した澱粉を水で溶いて葛湯のようにして、魚のスープなどを添えて食べる。グルテンフリーで消化がよい、血糖値の急激な上昇を抑えるなど、身体によいことばかり。ご飯とは違った満腹感があって、胃の負担が軽い。

そんなお粥みたいな食事、病人でもあるまいし、と思うかもしれないが、伝統的にサゴヤシを主食とするスラウェシ州のマルク人は、精神的にも肉体的強靭、優秀な兵士であったことで知られている。

1本のサゴヤシから100キログラムの澱粉がとれる効率の良さ。異常気象やら農業労働者の不足などに左右されない。サゴヤシを主食としている限り、買い占められることもなく、価格の高騰に苦しむこともない。

気候変動、食料不足が社会的懸念がこれからますます深刻化するであろうといわれる現代ににあってサゴヤシ澱粉が、脚光を浴びるのであればどんなにいいことだろう。しかし、サゴヤシの生息する熱帯雨林のジャングルは、鉱物資源採掘や油ヤシ農園への転用などによって激減の一途をたどっている。

インドネシアの法律では、熱帯雨林は伝統的な生活する人たちのために保護しなければならず、開発は環境への影響を考慮して慎重に行わなければならない。しかし、法律の抜け穴をついて経済的な利益を独占しようとする事業家が昔から後を絶たない。

アブラヤシ油は、世界で最も安い低価格の油、スナック菓子やチョコレート、アイスクリームやマーガリン、調味料や石鹸、ボディソープや化粧品など、植物性油脂として世界各国の工業原料として確実な需要がある。

低価格の理由は、単位面積当たりの集油量が高いこと、手間をかけずに大量に収穫できる。そして輸出による収益が期待できることから、資本家/政治家はより広い土地を占有しようとし、自然保護区の森林に手を伸ばす。

一時期深刻な問題だったシンガポールで深刻な煙害(ヘイズ)を度々発生させるカリマンタン島やスマトラ島の森林大火災が、貧しい農民の焼き畑農業だというのは大嘘。考えてみればバナナでもヤシで木さえあればいくらでも収穫できる大切な森林を零細農家が焼き払うはずがない。

火災の目的は、焼けてしまった場合の特例を利用して、企業が油ヤシ農園としての転用許可を得ることだ。しかしもう何年も、大きな森林火災や煙害の話を滅多に聞かなくなった。政府は”森林火災だけでなく森林破壊率も含めて過去20年間減少した”と国際的な場でアピールしている。

森林火災の激減した理由は、熱帯雨林を伐採して農地に転用する許可を大幅に緩和する政府の投資家優遇政策が推進されたのと対比していることから明らかだ。環境への影響に関する調査レポートが、後付けで許可が下りるほど、手続きが大幅に簡易化され、基準が不透明な森林開発許可が激増した。

政府が公表する森林破壊データは、森林を伐採して油ヤシ農園に転用されたものは(同じ緑色だから差し引きゼロという計算で)森林破壊に含められていないので、どのくらい熱帯雨林が消えてしまったのか実態が非常に分かりずらくなっている。

しかし、衛星写真を解析すれば、熱帯雨林の濃い緑色の中の至るところに人工的に植えられた油ヤシ農園の幾何学的な薄緑色が存在することは、欧米先進国の科学者や研究機関によって既に分析・研究されており、ヤシ油がEUの森林破壊防止規則の輸入禁止対象品目にされたのもそのためだ。

研究結果によれば、多様な植物と動物の生態系である熱帯雨林を、単一植物を植える油ヤシ農園に転用させることは、生物多様性を喪失させ、土壌を劣化させる、加工過程で発生する排水や二酸化炭素よりも強力な温室効果ガスであるメタンガスを発生し、かえって温暖化を加速させる。

欧州への直接的な輸出は少ないものの、間接的な工業製品の輸入も制限されるとなると需要は減退するかもしれない。さらに、より安価な植物性油脂を科学的に生成させる技術開発が近い将来に適用可能になる可能性がある。そこで政府は、トラックや船、ディーゼル車の燃料である軽油に、パーム油を混合させることを義務付け、国内の消費で需要増をはかっている。

2023年に35%、2025年からは40%と、段階的にパーム油の比率を上げて、石油の輸入を減らし、外貨を節約するのだという。但しパーム油の市場価格は変動が激しく、今のところ一定して軽油よりもコスト高であるため、政府が特定の生産業者に補助金を支給し差額を補填している。

政府が森林開発許可を大幅に緩和する一方で、自然の排水システムが破壊されて降雨の度に浸水する災害地帯が激増している。パプア州のような伝統的な生活の場である森林が破壊され、水質汚染、食糧不足、漁業や零細農業の破綻、栄養失調やこれまでにない病気に苦しめられるようになり、そしてジャカルタ西沿岸部PIKで起きている土地収奪や脅しは、は地方に行くほど更に激しい。

先日、大統領は演説の中で”バイオディーゼル促進のために森林破壊を恐れてはならない”と断言していた。前任の大統領から引き継いだ政策ではあるが、プラボウォ大統領自ら押せ押せで推進しているのは、自らも広大な油ヤシ農園を経営しているせいなのか。ジャカルタ西沿岸部のPIKのように見直すなどという話は今のところ出てきそうもない。

国内のメディアではしきりにバイオディーゼルを”環境に優しい”とか”世界で初めて我が国だけ”と持ち上げているが、これほど食料の懸念が世界的に注目されている中、食用に使える油を、わざわざ燃料として燃やしてしまうのは、正気の沙汰と思えない。

さらに悲報なのは、最後の熱帯雨林地帯パプア州のマラウケ市に2000台のショベルカーが上陸したことだ。上海の企業に、異例の大量発注をした事業家はカリマンタン島の木材で財をなし政界で権力を握る有名実業家、農業大臣は彼の従弟だ。

この事業家は、バイオディーゼルとは別の、食糧危機に備えるためのフードエステートという政策の実施を政府から一任されている。新政権が発足して間もなく、ショベルカーが上陸し、マラウケ市の三百万ヘクタールという北海道の三分の一の面積にも相当する森林が伐採された。

計画によれば、稲作水田(cetak sawa)、又は砂糖の原料であるとうきび畑に変えるという。1年半ほど前に、カリマンタン島でオラウータンの生息地を含む森林2万ヘクタールが伐採されて、キャッサバ芋が植えられたが2年経っても収穫がゼロというニュースが炎上し、森林伐採を止めるよう世論が盛り上がっていたが、結局計画の見直しはなかった。

熱帯雨林を切り開いた土地の農業利用は、そうでない土地よりも難しい。出来ないことはないが、コスト高で失敗するリスクが高い。スハルト大統領も、ユドヨノ大統領も、食糧確保のためとして同じ政策を実施したが、失敗に終わった実例がある。

稲作に適している中部、東部ジャワの農地を整備し、農民を活性化することはせず、生産性のある森林をわざわざ伐採して農地に転用しようとするのか。

”食糧確保は広大な土地を切り開くための口実で、森林の木材を売り払った利益を懐に入れ、農業は失敗させて油ヤシ農園にするのが本当の目的?”というのはいかにもありそうなことではあるが、増々濃厚に見えてくる。そして切り倒した木材は何処に消えるのか。

2千台のショベルカーは、これからどれだけパプアの森林を破壊するつもりなのだろうか。まるで戦車が上陸したのと同じように恐ろしいことだ。

パプア人は5万年も前からのこの地に住み着き、王に支配されることもなく現代まで、首長・長老に率いられる部族がそれぞれの言葉を持ち、ルールに従って暮らしてきた稀にみる民族。ご先祖様の名前も、いつから自分たちがこの森に棲んでいるのか知っているのが本物のパプア人だという誇りを持っている。

パプアの鉱山開発は以前から、環境破壊、土地収奪、人権侵害、伝統文化の破壊、貧困と飢餓が深刻であることが伝えられてきたが、これからはヤシ油農園によってさらに森林破壊がすすむ。そんな中で現地の情報を発信して反対を訴えている伝統的生活を守ってきた人たちの話を聞くと悲しくてたまらなくなる。

サゴヤシの澱粉を使ったパプアの伝統料理パぺダを食べてきた。辛くなくて何故今まで試してみなかったのかと思うほど、美味しかった。胃腸の弱ってきた年ごろには丁度いい。サゴヤシ澱粉は日本ではタピオカ粉の代用か工業用の糊として利用される安価な材料だそうだが、お米が高い今だからこそもっと注目されればいいのになと思った。


パプアフードエステートのために切り開かれた熱帯雨林
(Kompas TV)

2025-01-20

大橋を渡ったらそこはC国だった 血も凍る土地収奪キャンペーン

ジャカルタ西沿岸部の大橋を渡り終えると、そこはまるで別の国のよう。大通り沿いは完成したばかりの全く新しい大型の建造物が整然と並んでいて、一般庶民の移動手段であるオートバイ一台走っていない。右を見ても左を見ても看板の文字が全てC国語だけであるところをみると、ここはインドネシア人向けの街でない。

日本やシンガポールでもC国人移民が増えているというけれど、ここの場合は都市ごと引っ越してきたみたいな感じだ。インドネシア語をみかけることができるのはフードコートの看板ぐらい。そのフードコートの屋根や門の装飾も本場のC国そのもの。道の真ん中に置かれたアイコンの彫像も金の龍。

区画につけられた名前は、マンハッタン、ブルックリン、レジデンスアムステルダム、フロリダ、カリフォルニア、トウキョウ、オオサカ、オキナワ...海岸公園の名前はアロハ 


ジャカルタの西側、スカルノハッタ空港から10分の距離この県は、伝統的な礼拝所が多い漁師町で人口過密地帯だったところ。オランダに服属されるまで300年近くイスラム教の王国があったところだが、何故突然、C国都市に変身してしまったのだろうか。

反対運動の第一人者である元国有企業省副大臣サイドディドゥ氏の話をまとめてみた。ディドゥ氏が、現地を訪れて住民の声を代弁するようになったのは昨年4月、政府がPIK2を国家戦略プロジェクトとして認定したときからだった。

PIK2とは、インドネシアの経済を牛耳ることで知られている中国人実業家9人の一人A氏のコングロマリット企業による不動産開発プロジェクトの名称。A氏と、10月で任期を終えたばかりのJ元大統領との蜜月な関係は、以前からよく知られている。民間事業として既に進められていたPIK2が、突然、国家戦略プロジェクトに認定されたのは政治的な意図が隠されていることは間違いない。

国家戦略プロジェクトとは、国家的に重要なインフラ建設事業であると政府が認めた案件に対し、政府が、特別な許可や土地収用などの優遇措置を与える制度。

スラウェシ島のニッケル鉱山精錬所開発や、バンドン高速鉄道など、(実態はどうであれ、形だけでも)計画の段階では、少なくとも時間をかけて検討され、開発均衡・雇用創出など何らかの社会的な利益があるものでなければならない。

PIK2は民間の不動産開発なので、国家戦略と銘打つには無理がある。政府が国家戦略プロジェクトと認定したのは、観光庁が申請した沿岸部のマングローブ公園、埋め立て地のゴルフ場と国際的なF1サーキット場建設。商業施設や住宅建設は含まれていない。

ところが、中央政府、地方政府、地元住民の権利を守る立場にある町内会長や区域の班長ら、さらに警察もやくざも一緒になって、PIK2は国家戦略に認定されたのだから、A社に土地を売り渡さなければならないと、住民に土地を今すぐ手放すよう強いる大キャンペーンが繰り広げられた。

そのやり方とは、買収ターゲットの住民宅を、毎晩訪問し、売り渡すよう説得する。どの地主も売りたくないのは当然、現地での主な産業は農業、漁業。水田や養殖場などは売渡してしまえば、住む場所も仕事も失ってしまう。

国家戦略プログラム対象地域だからどうしようもない、というのならせめて土地標準価格でということになるが、業者の提示する価格は1平方メートルあたり5万ルピア(5百円くらい)ジャカルタから1時間以内であることからすると冗談としか思えないような金額だ。これでは新しい家を買って移り住むどころではない。

土地標準価格は通常、地域の税務署が毎年更新する土地標準価格表に参照する。土地税はこの価格に従って課されるもので、街中の土地は高く道路から遠いところ安くなど、価格にばらつきがあるのが通常だが、このプロジェクトを支援するための優遇措置の一つなのかどうかは不明だが、全域一律5万ルピアに変更され、業者はこれを交渉の根拠としているのだった。

土地標準価格は、課税価格でもあるから、これは業者にとって買収後の節税対策になるが、国にとっては税収の大幅な損失となる。国家戦略のためにここまで優遇してよいことになっているのかどうなのか、そういうところをぼやかして先行実施するのが組織的犯罪というもの。ディドゥ氏によればこれは明らかな汚職スキャンダル案件。

土地を売り渡すことを丁寧に断わっても、土地証書に問題があるとして警察から呼びだされる。”不服があるのなら裁判所に訴えればいい” というが、司法も買収されているのでまともな裁判など期待できるはずもない。

父親の遺産7ヘクタールの土地を業者によって断りもなく更地にされたCさんの場合は、土地証書が国土庁によって無効にされたことに対し訴えをたてたが、2カ月間留置所に入れられた。弁護士の勧めで、土地の権利に対する請求を止める書面に署名することと交換条件にやっと釈放してもらうことができた。

”30年間も税金を納め続けてきたのに、土地証書なんてなんの意味もなかった” 7ヘクタールの土地は、丸々無償で業者に渡された。

また、生産性のある水田や養殖所を売り渡す場合は、通常の土地よりもよりも高値で取引されるのが通常だ。ジャワ島以外の地方ですら1平方あたり少なくとも100万ルピア以上だが、首都ジャカルタから1時間の距離にある水田を、これもたったの5万ルピアで手放すなんて受け入れられるわけがない。

”今、手放さないと、水路がふさがれて収穫できなくなりますよ” それでも売り渡すことを拒否した場合は、やはり土地の証書に問題があるといって警察から呼び出しを受け、裁判もなく投獄される。そして次の買収対象の村人はその話を聞いて恐ろしくなり、業者はよりスムーズに土地買収をすすめることができる。

高さ2メートル10キロメートルにも渡って左右を高い壁で囲まれた集落がある。壁の向こう側には高層アパート、開発済みの建造物は盛り土をした上に建てられているので、この集落のある場所だけが低くなり、水はけが悪くなった。

雨が降ると胸まで浸水し、何日も水が引かない。生活道は劣化がすすみ穴だらけの道を、遠回りして漁に出かける。そんな中でも団結して闘い続けている集落もある。

”遠くのパレスチナより、近くにあるパレスチナのことをかんがえてくれ” ”これは莫大な規模の土地没収と貧困化のための政策だ” ディドゥ氏が住民の声を代弁する活動を始めて最初の頃は、批判も多かった。しかし最近は、批判よりも応援してくれる人が増えてきているという。

ディドゥ氏は、現地を訪れる時は携帯も持って行かない。護衛を連れて歩けば護衛が買収されて逆に命を狙われる危険があるの。常に命を狙われる危険と隣り合わせ、警察に呼び出され逮捕されるかという時期もあったが、ネットを通した支援運動によって免れることが出来た。

国家戦略プロジェクトは、マングローブ林の保護ということになっているが、元々あったマングローブ林はそれほど広くない。そこで業者はマングローブを植えて、対象区域を延長させているのだ。戦略プロジェクト指定される前のマップにはPIK3~PIK10という番号がふられていたが、 国家戦略プロジェクトに指定されてからは、全てPIK2に書き換えられた。

海岸線30キロメートル2つの県にまたがり9つの郡が既に買収済み、業者はさらに西へ40キロメートルジャワ島の西端にまで拡大を予定している。これが実現すると、シンガポールの3倍の広さにも相当する。

インドネシアでは外国人が不動産を所有することは以前から厳しく禁止されているが、この国家戦略プロジェクトの特別待遇のような措置により、一定の条件で外国人が不動産を購入できるようになっていて、C国語しか話さない住民が多数を占めているという。

昨年、繊維産業を倒産ラッシュの元凶となった、関税を払わない格安輸入品の業者の住所がみなこの沿岸部にあるとネット民が騒いでいたことがあるのを思い出した。ディドゥ氏によると、沿岸沿いを独占されると、麻薬や武器、違法な輸入、違法外国人の出入りが簡単に出来ることになってしまう。

税金を逃れる経路となって国として成り立たなくなる。富が一か所に集中し他が貧しくなり、分裂が起る。”沿岸部を個人の占有スペースにすることは、国防上非常に危険である”とディドゥ氏はいう。

同じことは既に、レンパン島でも、カリマンタン島でも、スラウェシ島でも起こっている。J元大統領政権の10年間、国家予算、借金までして毎年何百もの国家戦略プログラムをすすめてきたが、その実態はこのPIK2と同じように、一部の資本家の利益になるだけで国には何ももたらしていないということは、もう隠しようのない周知の事実だ。

じつはがっつり中国化だったヒリリサシ政策

J元大統領が自分の後任を決める大統領選挙にあれほど執拗に介入したのも、このプロジェクトを守るため。しかし現政権にとって、経済効果を生まないどころか政権を揺るがしかねないこれらのプロジェクトはお荷物でしかない。

不動産開発を否定するものではないけれど、特別待遇は止めてほしい。土地証書があるのに、土地庁が勝手にデータを変えてしまうことができるだなんて怖すぎる。

ジャカルタという都市も元々は小さな漁村で、東インド会社が貿易の拠点にする目的で、全オランダ式で、オランダ人だけのための街として築かれたものだった...歴史が繰り返されないことを祈る。

じつはこのPIK2では、陸地の土地問題だけでなくて、海上においても、今まで聞いたことのないような手の込んだ収奪未遂事件が発覚している。さらにこの開発業者は新首都ヌサンタラとも関係してくるのだが、順を追ってまた別に書く。


パレスチナ問題についてイスラム教圏ではこう伝えられている

ゴールド高騰の影で消えていた漁村 ードキュメンタリ映画ー東からの風ーより


2025-01-11

あるあるでは済まない途上国警察 一線を越える

貸し出した車に取り付けてあったGPSからの信号が途絶えたのに気付いたのは、オーナーの長男だった。3個装着したうち2個の信号が一度に消えたということは、故意に取り外されたに間違いない。残った1つのGPSの信号を頼りに、自動車レンタル店のオーナーと二人の息子、従業員数人が2台の車に乗って追跡に出かけたのは年が明けたばかりの夜10時過ぎだった。

問題の車が走行しているのを見つけたのは隣県の路上だった。”この車はだれのものですか”とオーナーが話かけると、乗っていた二人のうち一人がピストルを取り出し”どけ、俺たちは海軍だ。どかないと撃つぞ” と脅してきた。

”穏やかに話しましょうよ” レンタル店のオーナーは、この商売を始めてから十数年。もう何度も乗り逃げされそうになった車を追跡しては取り戻す経験を持つ。決して高飛車に怒鳴りつけたりしたわけではない。

穏やかでない雰囲気に、やじ馬が集まりはじめたそのとき、後方から黒い車が近づいてきて従業員らの乗る車に追突。そのどさくさに紛れて、問題の車も走り去っていった。そして深夜のカーチェイスが始まった。

相手は拳銃を持っている。途中、オーナーと息子たちはグーグルマップで最寄りの駐在所を探して立ち寄り、事情を説明し、相手は銃を持っているので同行してくれるようお願いすると、夜勤中の警官は、手続き上の理由で同行を拒否。署長に電話で尋ね、だめだと言われてもいたようだった。

そこでオーナーは、警官にものを頼むときの常識”お疲れ料”を差し出したが、それでも警官は断り、自分たちで探すよう促した ”ここへ連れてきたなら手助けできる。拳銃だって本物とは限らない”とまで言い放った。

残ったGPSが外されてしまえば車を取り戻すことが出来なくなる。警官の助けがなくても、オーナーと従業員らは追跡を続けた。例の車が高速道路のレストエリアに入ったことをGPSが示したのは明け方4時近く。従業員らは徒歩で、レストエリア内に駐車しているはずの問題の車を探し、コンビニエンスストアの前でそれを見つけた。

運転手は、仮眠をとっているらしい。従業員らは男を取り囲み、拳銃を差し出すよう詰め寄っていた。その時、背後から突然の銃声。少し離れたところに例の、あの黒い車が駐車していた。銃弾の音は4発5発。その一つが、オーナーの次男の耳たぶをかすめ、全員が散り散りになって逃げたので撮影していた画面もここで途切れてしまう。

銃声が止んだようだと恐る恐る戻ってきたとき、従業員の一人とオーナーが撃たれたことを知った。オーナーはコンビニエンスストアの中で倒れ床には大量の血が。胸を撃ち抜かれ、病院に運び込む途中で亡くなった。もう一人も左腕を撃たれ重傷。
現場の監視カメラ映像

警察は権力者や富裕層のためにあるもの。警察に助けを求めれば賄賂を要求され、通報すれば、通報者が逮捕される。期待するなといわれても、こういう場合に一体だれに助けを求めたらいいのか。

12月にも、ジャカルタでこんなことがあった。年に一度開催されるアジア一の大規模なダンスフェスティバル、世界的に有名なDJが出場するということもあり、タイ、マレーシア、シンガポール、をはじめとするアジア各国から、ジャカルタに飛来したファンたちが野外会場に詰めかけていた。

熱気あふれるステージの真っ最中、近づいてくる私服の警官は、麻薬取締官を名乗り、パスポートの提示を求め、尿検査を強要。結果が陰性であっても、パスポートを返す代わりに、二十万ルピア(二千円くらい)支払うことを要求してくる。場合によっては何千万ルピアも請求され交番に監禁されたり、翌日ホテルまで警官がやってきて支払いを強いられた観客もいた。

”こんな不快な体験をしたことがない” ”ジャカルタでのフェスはもう二度と行かない”  
マレーシア人450人から巻きあげた金額は、3億2千万ルピア(320万円)にも上るという。被害者らは、帰国後ソーシャルメディア上でインドネシアの警官から受けたこの屈辱的な体験をぶちまけた。

警官の不正行為が横行しているのは何もインドネシアだけではない。しかし、どの途上国でも決してやってはならないルールというものがある。それは観光客にだけは手を出してはいけないということだ。悪い評判によって観光客の足が遠のけば、地域の経済に直接影響する。

以前、米国の有名歌手テイラースウィフトの経済効果ということが話題になったことがある。航空券、ホテル、レストランや観光やおみやげ、たった6日の公演だけでシンガポールの経済成長率を0.2%押し上げたという。

その時、シンガポール政府が、他のアセアン諸国で公演しないようインセンティブを支払っていたことについて周辺国と摩擦が起こったが、インドネシアも抗議した国の一つ。

フォーブスJAPAN2024年3月シンガポール首相、テイラー・スウィフトとの密約

AIによれば、東南アジア主要都市の首都圏人口は、ジャカルタ3400万人、マニラ1348万人、バンコク1400万人、ハノイ859万人、シンガポールは591万人。

人口からみた潜在性でいえばジャカルタで公演するのが最も効率がよさそうだけれど、残念ながら肌の露出が多い衣装がトレードマークのアーティストがやってくると聞くと、過敏な保守的イスラム教団体が抗議デモがおこす。

衣装に問題がなくても、LGBTを支持しているという批難され、英国のロックバンドコールドプレイが公演を取りやめたことがあった。それに比べて、このダンスフェスは電子音楽がメインで、文句のつけようがないイベントのはずだったが。

いつものことだが、炎上してはじめて国家警察が内部調査を始める。実行犯の警官18人が拘束された。事件発覚当初は異動処分だけで済まそうとしていたようだが、高官3人が国家警察の倫理裁判の結果、懲戒免職処分となった。部下がやったことは隠しようがなく、命令されたことも明確だ。

#Donald Simanjuntak

国家警察官候補生学校(Akpol)出身の超エリート。いくつもの地方警察署長を歴任し、
麻薬取締部高官としてはシンジケートから麻薬を押収するなどの功績もあげている。部下たちに、会場で麻薬陽性者をみつけるよう指示され、多く見つけた者には褒賞を約束していた。巻きあげた金を振り込む銀行口座名(弁護士名)まで指定していた。

こんな超エリートが3億ルピア程度のはした金を集めるためにわざわざこんな目立つところで騒動を起こしたとは考えにくい。とすると、ジャカルタのイメージを下げ、次回から開催地として外したい側からの依頼によるものだという説も、あながち陰謀論ではないようにもみえてくる。

前述のオーナー射殺事件でも、海軍特殊部隊のメンバー3人が犯人であることが分かった。軍は内部調査を行うとのことで、今のところ公開されているのはイニシアルだけだ。使用した拳銃も軍務のためにSOPに従って所持しているものとのことだが、躊躇なく一般人に銃を向け、頭や心臓を一発で狙って撃っているところが恐ろしい。

これはもう”個人的な犯罪”と言っていい範囲を超えている。このままでは、軍隊の武器を使って軍人が、窃盗を行い、警察もそれを容認しているということになってしまう。

ブラックマーケットでは、盗難品とあらかじめ分かっている車両が売買されているという。レンタル車に設置されているGPSは、車を分解しなければ外せないように設置されているが、そのGPSを外すサービスを提供する公告もフェイスブックなどで簡単に見つけられるそうだ。

インドネシアでのビジネス難易度が高いといわれるのも無理ないことだということをつくづく思い知らされる事件だった。

#Kasus penembakan Bos Rental 

#Kasus DWP2024 






2025-01-02

バティック幾何学模様の深い意味

ろうけつ染めならではの、味のある線で描かれたひし形の真ん中に、規則正しくボタンのように描かれた小さい絵柄。卵、さなぎ、蝶々、といった成長の変化の過程の象徴が繰り返し描かれるデザインは、結婚や出産、卒業、就職など、人生の重要な節目、特に新しい門出を祝う際に着用されるシドムクティと呼ばれる。

それらを囲む四角や丸の単純な線で描かれた幾何学模様は、秩序と安定を表し。蝶々が成長するまでのプロセスが、安定して秩序ある中で行われるようにという願いが込められている。また、図形の内側いっぱいではなく、余白をとって控えめに絵柄が配置されていることにも重要な意味がある。

それは、安定の中にいても奢り高ぶらず、謙虚に忍耐強くプロセスを進みなさいという励まし。



ヤシの実など殻が固く中に空洞のある果実が重なる円形の幾何学模様は、カウンと呼ばれる。円形は人間の一生を表し、固い殻は、自分を守り育ててくれた恩を忘れてはならないという戒め、果実の内側に空洞があるのは、偏った意見や欲望に振り回されることなく、心を空しくして中立であれという意味。

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インドネシアの観光省のホームぺージで紹介されている伝統文化、バティックのデザインについての説明を読んでみたらとても奥が深かった。


元々は王族だけが着用するものであったバテイックが、一般人にも着用されるようになったのは、オランダ植民地統治時代から。伝統衣装として、腰に巻く一枚布として使用されるものであったバティックを現代的にアレンジした、バティックシャツ。ネクタイと同等またはそれ以上のフォーマルな服装として通用するようになったのは、インドネシアの独立・民族主義運動に関係がある。

オランダ人が、権力者の象徴として白いシャツを好んで着用していたのに対抗して、最下層階級として扱われていたインドネシア人が、西洋に同化しない心意気を表すために、知識人や学生たちが、率先してバティックのシャツを着用した。この伝統は、独立を達成した時にも引き継がれている。

現代は、キャビンアテンダントやレストラン店員のユニフォームになったりもしているけれど、一般的には式典や結婚式、会社勤めでもバティック着用が必要な機会は多々ある。また、小学生の頃から、どの学校でも週に一度のバティック着用日があり、その日は校長先生も先生も用務員さんも全員がバティックを着用する。

子供の頃からバティックを着用することで、時と場合と場所(TPO)をわきまえた服装を選ぶことや、礼儀や立ち振る舞い、国民としての意識を高めるという目的、その他にも地域のバティックの職人さんを経済的に支援し、地域の産業振興につなげるという目的がある。

バティックは材質やデザイン、半袖・長袖などによって、セミフォーマルからフォーマルまで様々な使い分けが出来る。安価なプリント生地が圧倒的に多いのはそうだけれど、地位のある人はやはり手の込んだ手作りのバティックシャツを、時と場合に応じて備え、揃えることが紳士のおしゃれになっている。

王宮由来のバティックの他にも、全国に300存在すると言われる民族又は地域によってそれぞれの物語を持つバティックが存在する。漁業中心の地方では、海の生物や波など、海への感謝や畏敬の念を示すもの、平地の広がる穀倉地帯では、豊穣祈願や雨ごいを表す雲の模様、バリでは、ガルーダやバロンといった神話上の生物、古くから貿易の盛んだったジャワ島北岸では、中国やベトナムのデザインの影響もみられる。

大統領が地方を訪問するときは、その地方の伝統的なデザインのバティックを選ぶことが鉄板であるし、国際会議などでも、ネクタイ姿の他国のリーダーたちに交じってバティックを着用することで、自国の文化や伝統を守る姿勢をアピールしている。

シャツとしての型は同じでも、それぞれの民族の伝統的なバティックデザインを許容することによって、アイデンテティーは失わないというところが、インドネシアの国家原則の一つ”多様性の中の統一”の原則とも合致しており、バティックを着用すること自体が、パンチャシラ(国家原則)の精神を表すものだという。

なるほど、伝統保存のために伝統衣装を日常的に着用するというのは、実践が難しい。しかし、現代的な服装にアレンジすれば、着用する機会はずっと増える。ましてやそれが正装とみなされるのであれば、ネクタイ背広よりもずっとオシャレの幅が広がるし、伝統織物の確実な需要が生れる。

バティック式の伝統保存策を着物でも取り入れられたらいいのになあと思う。気候変動を理由に政府が推奨するだけで、ネクタイ背広から切り替える人が一気に増えるような気がする。

(終)

2024-12-31

2024年世界腐敗支配者ランキングにジョコウィドド元大統領ランクイン

国際的な調査報道ネットワークOCCEP(組織犯罪と腐敗報道プロジェクトが発表した、2024年の世界腐敗人物ランキング第二位にインドネシアの7代目大統領、ジョコ・ウィドド元大統領がランクインした。

1.ケニアのウィリアム・ルト大統領
2.インドネシアのジョコ・ウィドド元大統領
3.ナイジェリアのボラ・アハメド・ティヌブ大統領
4.バングラデシュの元首相シェイク・ハシナ
5.インドの実業家ガウタム・アダニ

同組織は、2016年に世界を震撼させたパナマ文書、世界中の政治家や富裕層が、タックスヘイブン(租税回避地)を利用して巨額の資産を隠していた実態を暴き出しの調査報道において重要な役割を果たした世界中のジャーナリストの組織。

世界的に腐敗で名を知られた二代目大統領のスハルト元大統領以来、インドネシアでは二人目の、汚職で世界的に名を知られる元大統領となった。過去には、ベラルーシのルカシェンコ大統領、ブラジルのボルサナロ大統領、などもランキングされた調査とのことだが、果たしてどうなるか。

この調査では、汚職金額だけでなく、組織的犯罪、不正選挙、人権侵害、自然破壊、への関与度も評価の対象になる。2025年から消費税が12%になる。生活必需品は増税しないと政府は説明しているが、一体どうなることやら。

明るいニュースに乏しい中、ジョコウィドド氏のランクインは、国民にはささやかな朗報として受け止められている。

ランクインの感想を報道陣に尋ねられても、いつも通り笑顔ですっとぼけるジョコウィドド元大統領


2024-12-24

国立大学図書館内で製造された偽札 ATMでも検知できず

大型高性能の大量印刷機は、深夜、フォークリフトで運び込まれた。壁には防音材を施し、外からはかすかに聞こえる程度。図書館長が自ら”本を印刷している”と説明すれば、それ以上尋ねる者はいなかった。

インドネシア第七番目の都市マッカサールにある宗教省管轄下の国立大学。近くの町で偽札を所持し逮捕された男の証言から、警察が、同大学の図書館を捜査したところ、使用されていない元トイレ2X4メートルのスペースいっぱいに置かれた高性能大量印刷機が発見された。

印刷機の他に押収されたものは、印刷に使用したとみられるインクの缶やアルミニウム粉末、デジタル計量器、紙幣を切断する機器、未切断のルピア紙幣446百万ルピア相当、韓国ウォン5,000札、ベトナムDong500 札などの海外紙幣、インドネシア銀行の定期預金証明書のコピー 45兆ルピア相当 1枚インドネシア国債 700兆ルピア相当など。

報道によれば、総額1000兆ルピア相当。これはインドネシア国家予算の三分の一にも相当する。これは、印刷済みの偽札の金額もさることながら、巨額の、預金証明や国債が印刷されているというのは、国としてヤバい。

これまでに図書館長を含む17名が逮捕されているが、偽札を市場の紙幣と交換して報酬を得ていた主婦や、図書館長に雇われて製造の手伝いをしていた一般人以外に、国営銀行の職員2名や、国家公務員4名、が含まれている。

また、この逮捕の11日後に、大学職員の一人が突然死している。関係者として自分の名前が出たことがショックで心臓発作を起こしたと報道されているが、イニシアルや年齢すらも公表されていない謎の人物だ。

現在報道されている情報は、首謀者とされる図書館長の警察に対する証言によるものがほとんど。彼は、大学の正職員であり、図書館学の講師、博士号も持ち、大学外でも活躍するアカデミックな表の顔、その裏で2010年以上も前から偽札印刷に関わっていたという。

以前は、出資者とみられる実業家の自宅で小規模な印刷機を使用して偽札を製造していたが、より大量に印刷する必要性があり、高性能オフセット印刷機GM-247IIMP-25を、6億ルピア(600万円ほど)で中国からスラバヤ港を経由して直輸入、大学の図書館に運び込んだのは2024年9月。

出資者とみられる実業家宅についても、警察は既に捜査済み、紙幣を印刷するための紙を購入した履歴や、図書館館長に渡していた証拠もあるとのことだが、未だ指名手配中である。地元では名を知らない人はいない名士として市長選にも出たことがあり、2024年11月に行われたばかりの地方首長選挙にも出馬しようと、宗教系のとある政党と交渉していたことが分かっている。

図書館長もまた、別の県の知事に立候補しようとしていたことが、現場に残ったプロポーザルの冊子から分かっている。但し二人とも、立候補推薦してくれる政党がなかったので、出馬を諦めた。ということは、もしも二人が立候補していたら、偽札が大量にばら撒かれるところだったのだろうか?

大学で印刷された紙幣は、精巧につくられていてX線でも見分けることが困難だという。”ケータリングの支払いが偽札だった” ”給料が偽札だった” はまだしも”ATMから引き出したばかりの紙幣が偽札だったという話には大混乱。

人口150万人(川崎市の人口と同じくらい)の地方都市マッカサールでは既に偽札が多量に出回っている。現地にあるATMブースのガラスの扉に貼られた、偽札の見分け方についてのガイダンスは結構複雑だが、引き出した紙幣を自分でチェック、自分で通報しなければならないルールになっている。

紙を購入した履歴がわかっているのなら、どれだけの量が流通したのか計算してほしいところだが、現場にあった偽紙幣以外の情報はでていない。実は、指名手配中の実業家は、自らは出馬しなくとも、スラウェシ南州で圧勝した候補者の、成功チームのメンバーとして選挙キャンペーンで活動しており、選挙活動で偽札が使われたのかどうなのかということも気になる。

この事件の報道で、印刷のための紙もインクもなんでも中国製で入手できるということがわかった。印刷機さえあればいくらでも刷れてボロ儲けできる。汗水流して働くのがばかばかしく感じられるような印象だが、実は、本物そっくりの精巧な紙幣を印刷するためには、インクや紙といった製造コストがかかるので、十万ルピア札(千円くらい。ルピアで最も高額の紙幣)より小さい額の紙幣(5万ルピア札)を刷れば、製造コストの方が高くついてしまうらしい。

とすると国立大学の施設内で印刷することは、安全だからという目的だけでなく、実は電気代を削減する目的もあったに違いない。この事件により、図書館長は即、解雇され、学長は、”全く知らなかった。裏切りだ”と声を荒らげ怒りの演説を打ち、学生は学長の辞任を請求する。優秀な社会人を世に送り出すための大学で、優秀な偽札が送り出されていたという皮肉な話。




2024-12-21

インドネシア地方首長選挙の真相 ジャカルタでは勝てなかった元大統領の支持する候補者

11月27日に行われたインドネシア全国統一地方首長選挙について、日本語メディアでは ”大統領と元大統領の支持する候補者が勝利”という点に焦点をあてた形で報道されているが、これは、2024年の大統領選挙戦からの流れを抜きにしては理解することができない。

まず、スハルト独裁政権崩壊後、民主化時代の歴代大統領が、自らの後継者を決める大統領選挙や、地方首長選挙に介入し、自身の側近や身内をゴリ押しするというようなことはこれまでになかった。

後の政権の負担にならないよう、重要な決定や人事も、退任間近になれば控えるのが最高権力者としての威厳というもの。少なくとも6代目ユドヨノ大統領は中立の立場を通した。しかし、7代目大統領のジョコ氏は違う。

自身の後継者を決める大統領選挙の選挙運動機関、2023年の後半ごろから始まったジョコ氏の権力の乱用とは、国家予算の私物化、地方首長や警察を動員、ばら撒き・恐喝、データの操作・・・

そのような暴走を許さないという理想に基づいて設置されているのが憲法裁判所だが、現職大統領の違法行為に対しては無力であるということが明らかになった。不正選挙は判決によって証明されず、現役大統領の推薦するプラボゥオ氏とジョコ氏の長男が政権を握ることになった。2024年大統領選挙の結果と茶番だった憲法裁判

残りの大統領任期中を通し、ジョコ氏は選挙関係のある政府機関の報酬アップや表彰、人事の入替えを次々と行った。さらに、自然破壊・国土縮小につながる砂の輸出許可や、実業家の利益にしかならない大規模土地開発を国家プロジェクトに認定すると、国家機関による強制的な土地の取り上げと、地元民との間の紛争が、これまでもあったが更に激しくなった。

その目的は、選挙に協力した側に約束された報酬、又は恩を売る行為であることは明らかで、この報道と同時進行で、ヌサンタラ首都移転計画の杜撰さ、違法鉱山開発の実態、経済効果のない対外債務を無責任に膨らませたこと、大臣や税関職員の汚職の実態も次々と暴露された。

国民はもう以前のように”ジョコウィ大統領”と呼ばなくなった。ジョコ氏が幼い頃、病弱であったために改名したというエピソードを引用し、改名する前の#Mulyonoという名前で呼び捨てにするのがネット民の隠語になっている。

ジョコ氏は、10月で大統領の任期を終えた後、その後もプラボウォ氏を通して権力を維持し、5年後の大統領選挙には、副大統領の長男を大統領に当選させ、ジョコ氏が復権、一族支配を更に推進するという計画を持っている。

地方首長選挙は、その計画のステップとして、ジョコ氏の次男をジャカルタ州か、中部ジャワ州の知事に、そして娘婿を北スマトラ州知事に当選させようとしていた。

最高裁判所による特令に基づいて、法的な年齢条件を満たしていない次男を、地方首長選挙に候補者として登録させることがほぼ決まっていたが、その登録開始日の1週間前、憲法裁判所が、最高裁判所の特令が無効であることを宣言した。

選挙法に関する権限は、法律上、最高裁判所ではなく憲法裁判所のもの。ジョコ氏は、即座に、国会に新しい法律を可決させて、さらに、その憲法裁判所の判決を無効にしようと試みたが、全国一斉”緊急アラームデモ”により阻止されたのだった。法案通過を断念させたエマージェンシーアラームシステムとは

ジョコ氏の次男に代わってジャカルタ州の候補者になったのが、元西ジャワ州知事カミル氏。建設デザイナーで街をおしゃれにするみたいな触れ込みでバンドン市長として有名になった人物だが、特に目覚ましい成果もなく、ジャカルタで闘うのは難しいという評価があった。

しかし与党連合にとって、そんなことはあまり問題にはならなかった。というのも、大統領選挙の際の政党連合(KIM連合・与党連合)に、元アニス派の政党を加え、国会に議席を持つほぼ全ての政党14党が連合を組んで、ジョコ氏の推薦する候補者が、対戦相手なしに勝利できるよう、準備されていたからだ。

ところがこの準備も、憲法裁判所のもう一つの判決、議会議席数の比率を低減する判決によって台無しになった。連合に加わらない只一つの政党、闘争民主党が、単独で候補者を立てることが可能になったのだった。

闘争民主党は、ジョコ氏を政治家として育てた政党でもある。無名の実業家だったジョコ氏を、地方都市の市長から大統領への階段を用意し、2020年にはジョコ氏の長男をソロ市長、娘婿をメダン市長、へと出馬するチケットを与えたのも、闘争民主党だった。

一方で、大統領就任後のジョコ氏は、他の政党と接近し、政権2期目の人事をみれば明らかなように闘争民主党とは相容れない、独自の路線をとるようになっていった。

闘争民主党との敵対関係は、2024年2月の大統領選挙で明確になった。ジョコ氏は、闘争民主党の地盤である中部ジャワ州やスマトラ州で集中的に、村長らを動員しノルマを課し、闘争民主党の票田を徹底的に潰した。村長らを監視し、従わない村長は村予算の不正使用の件で逮捕すると脅すのが、地方警察の役割。

その結果、闘争民主党の候補者、中部ジャワ州知事を二期務めた実力派、ガンジャル氏の得票率結果はたったの16%で大敗するという非常に理不尽な結果に終わったのであった。その後の地方首長選挙でも”ガンジャル化”という造語が使われている。人気のある本命候補者は、権力者から目の敵にされ潰されるという意味をもつ。

ジャカルタ首長選挙前に、本命として名前が挙がっていたのは、大統領選にも出馬したアニス氏、又は、華人系キリスト教徒宗教侮辱罪で2年の実刑を受け刑期を終えているアホック氏。しかし、どちらも、ガンジャル化される可能性が高く、出馬は叶わなかった。

そこで白羽の矢がたったのが、現役大臣でもあったプラモノ氏。ジョコ氏との関係が悪くなく、言うなりでもない全くのノーマークの闘争民主党幹部。副知事候補も元コメディアンでバンテン県で知事の経験もあり、ジャカルタに馴染みのある人物。

与党連合の政党は、カミル氏を支持する約束にはなっているものの、本心では自分たちの党から候補者を出したかった、カミル氏が好きじゃないなど、それぞれの思惑があり、足並みがそろわなかった。

大統領選挙の時と違った点は、調査会社のアンケート結果の足並みがそろっていなかったこともある。一社を除くアンケート調査の結果では、プラモノ候補の方が圧倒的に優利だという結果だった。

ジャカルタ州知事というのは、メディアでの露出度が高く、注目度が高いので、ジャカルタ州知事として全国的な知名度を上げることが、大統領への王道となる。自身が、その王道を通って大統領に上りつめたのだったが、ジョコ氏は、闘争民主党からジャカルタ州知事を出すことをなんとしても阻止したかったようだ。

プラボウォ大統領の方はというと、闘争民主党のメガワティ党首とは長い付き合いで、現在最も国民から支持されている大政党と諍いを起すつもりもない。積極的にカミル氏を応援しているわけでもなさそうだったが、投票日前の、活動禁止期間中には、”カミル氏に投票するよう勧める書面を発行した。

ジョコ氏の後押しで大統領選に当選したプラボウォ氏が、ジョコ氏との間に何らかの約束を交わしていることは周知の事実。就任後も、ジョコ氏に会うため何度もソロ市に足を運んでおり、その直後の行動がいつも注目されている。

この書面が出されたのは、選挙活動禁止期間中であったというところから、相当な焦りが感じられる。ところで、既に大統領であるプラボウォ氏にとって、あれこれ指図してくるジョコ氏は、既にうっとおしい存在であり、表面上は従うようにみせておいて、そのうち手を切る時はそう遠くないのではないかとも言われている(期待されている)

ジャカルタ州知事の選挙結果は、プラモノ氏が一位、二位のカミル氏とは10%以上もの差をつけた。闘争民主党は、ジャカルタの他に、バリ州、バンドン市を含む、全国37州、全国37州の内14州、508の県・市のうち249の地方首長を当選させた。

確かに連立与党の推薦した候補者の方が勝った地域の方が多いが、たった1党だけで闘った闘争民主党は却って、以前より多くの地方首長を当選させている。それは、元大統領の目指す一族支配を拒否する国民の意志表示でもある。

与党連合の支持する候補者が勝利した、中部ジャワ州、西ジャワ州、北スマトラ州、バンテン州などでは、直前のアンケート調査の結果と、投票結果が逆転するという、非常に不自然な結果であった。

そこで出てきた言葉が#Partai choklat「茶色党」の影響。茶色というのは、警察の制服。
元大統領の支持する候補者が勝利した地域は、茶色党の勢力範囲でもあるという話。

前回の大統領選挙の頃はまだ、ジョコ大統領の人気(ばら撒き)のお陰で勝利したと言うこともできたが、元大統領に支持されることが却ってマイナスの影響であることがはっきりとしている今、茶色党の活動に注目があたっている。

ジャカルタ州以外の地方首長選挙結果の話は別に書く。


2024-12-07

東南アジア発 オンラインカジノの猛威

ほんの数分間で、100円が5万円に。この快感を一度覚えると、お金を手にする度に、同じことを考えてしまうようになる。それまでの掛け金なしのオンラインゲームでは物足りなくなり、給料が入れば全額を課金してしまう。

最近は、身分証明書をアップロードするだけで借りられるオンライン金融というのが普及していて、オンライン賭博のアプリが入った同じスマホを使って、容易く一線を越えてしまうことが出来るようになっている。引き出せるだけ引き出す一方で、友人知人への借金、身の回りの品々を売り払う。

”深夜、1~2時頃、金貸してくれとラインしてくる友人がいたら、そいつは間違いなく、オンライン賭博にはまっていると思っていい” 友達、信頼を失うだけでなく、全財産をつぎこみ、経済困難と借金取りがやってくる。ついに一家離散、ここまでになっても依存症から中々抜け出すことができない。

多幸感や快感をもたらす神経伝達物質ドーパミンが急増を繰り返すと、意思決定と自制心をつかさどる前頭前皮質領域に、物理的な損傷が生じるため、依存症から抜け出すことは物理的に困難になる。また身の程に相応した金額上限というストッパーも外れてしまうことも特徴の一つ。

取返しのつかない状況に落ち入れば落ち入るほど、そしてそれを自覚すればするほど ”勝ちさえすれば、全てを一度に清算できる”といった思い込みに傾倒し、つぎ込む金額も増していく。

依存症の治療のために精神科を受診する患者のほとんどが、”絶対に勝てる方法は分かっている”と思い込んでいるが、実は、オペレーターの設定するアルゴリズム一つで決まるのだ。

オンライン賭博運営者にとって、利用者の精神状態をモニタリングすることは、オンラインカジノ運営の重要なノウハウの一つである。

利用者がスマホを変えた(お金がないから売った)又はオンライン金融から借金した金額情報を、オペレーターは全てリアルタイムで把握しており、最初は適当に勝たせるが、借金してまでつぎ込んでくるようになったら、勝ちを与える必要はなし”という運用になっている。

人間の欲望と心理を徹底的に研究しつくしたオンラインカジノ運営のノウハウは、特別な専門知識がなくても誰でも資金さえ出せば参入できるよう、既にフランチャイズ化されており、その世界的な拠点は、中国南部、又はカンボジアにあるという。

そして最も騙されやすいのがインドネシア人。東南アジアのオンラインカジノ利用者ランキングによると、インドネシアが二十万人でダントツの一位、二位のカンボジアは二万人台と一桁違う。

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金融取引報告分析センターという国家調査機関によると、インドネシアのオンライン賭博取引額は、2022年81兆ルピアから、2023年には327超ルピアと、4倍にも激増した。そして2024年第2四半期で既に300兆ルピア、そして現在第4四半期には900兆ルピアにも達している。

#transaksi judi online tembus Rp.900 triliun

利用者が激増した背景には、初回の課金金額が、五十万ルピアから、子供のお小遣い程度の1万ルピアに大幅に引き下げられたことがある。調査によれば、利用者は二百三十七万人、被害者は880万人そのうち80%が低所得者層、未成年が13%、そのうち2%が10歳以下の子供だという。

有名人やインフルエンサーによるオンラインカジノサイトへの誘導動画をみてみると”公認のアプリ” ”すごい簡単、プロモが沢山”などと全く同じ台本になっている。まさかあの人がと思うような大御所のアーティストまでそのような動画に出ていた。一般人の場合は、大勝する実況中継、贅沢品の自慢、こういう定型もパッケージの一つ。

しかしながら、900兆ルピアといえば国家予算の三分の一にも相当する恐るべき金額である。国内で使用すれば、収益となり、雇用機会を生むはずの資金が、海外へ流出し消えているのだから景気が良好なはずがない。収入が減ったこと、社会への不満、どうやって補うかを考えるストレス。オンラインカジノに手を出だすきっかけについて大抵の人が言うこともまた定型がある。

実際インドネシアでは、進学もせず、就職先も見つからない、Z世代の失業者が世代人口の2割以上にあたるということが問題になっている。日本に実習生として働きに行く若者も急増しているが、国内にはその何倍もの、働きたくても雇用先のない人が急増している。

高額の報酬を得られるという話につられて観光ビザで出国し、タイで働くはずが、バスでミャンマーに連れて行かれ、帰国できなくなったインドネシア人が、外務大臣に助けを求めた動画が一時期話題になったことがあった。

彼らの仕事は、アジア各国から、自分の国の国民をターゲットにした振込み詐欺のかけ子。長時間労働、目標を達成できなければ電気ショックガンの罰、〇器売買組織に売り飛ばされると脅される。

#WNI di myammar minta tolong

”タイやカンボジアに出稼ぎをあっせんされても行かないように” 外務大臣が注意を呼び掛けていたこともあった。最近は、オンラインカジノで働くオペレーターも、同じような状態にあるらしいことがわかってきた。

オンライン賭博運営が違法でないと言われているカンボジア(法律上は禁止されているらしい)には、インドネシア人をターゲットとした、インドネシア人が出資し運営するオンラインカジノの拠点が無数にあり、現在、10万人ものインドネシア人が違法に就労しているということが、出入国の記録からわかっている。

政府の対策はというと、大統領の命令でオンラインカジノ撲滅委員会を組織し、通信大臣によれば、3百万もの賭博サイトをブロックして対策をとった”という。しかし、第2四半期で、すでに昨年の総額300兆ルピアを超えていたオンラインカジノ取引総額は、その後も激増し11月には900兆ルピアにも達しているということは、全く効果がなかったことがはっきりしている。

依存症の夫にガソリンをかけて火をつけた(警察官の夫婦だった)事件、顧客の口座から現金を引き出していた銀行員、オンライン詐欺で逮捕された主婦、自らの命を絶つ軍人など、オンラインカジノに関係する凄惨な事件は後を絶たない。

#istri bakar suami

どさくさまぎれに、オンラインカジノ被害者に、政府が貧困者支援金を提供してはどうかと言う案が出たが、これは対策ではなく、促進策だ。日本でも一時期あったホスト被害者に政府が支援金を提供する案がでたことがあったのを思い出し、同じ発想だなと思った。

金融取引報告分析センターはまた”千人の国会議員、地方議会議員が、オンラインカジノの利用者である” と発表している。(同センターの権限は報告するだけで、調査の権限はない。名簿と明細を、執行機関である汚職撲滅委員会や警察、検察庁に委ねるのみである)

#PPATK ungkap 1000 anggota dewan main judi online

オンラインカジノの利用者が、政治的権限のある人物だと一般人と何処が違うのだろうか?議員が、依存症になったり、破綻したという話は聞いたことがないが、もしかすると、別の運用ルールが隠されているのかもしれない。

不正に得た利益を隠蔽するための格好の投資先になっていることは公然の秘密で、これらは、不正選挙の資金源にもなっている。不景気からくるストレスで、オンラインカジノに手を出す一般人、不正に儲けたお金で、無能な政治家が権力を独占、さらに国民を苦しめる政策を推進し、格差が拡大されるという悪魔のスパイラル。

実は、10月後半に新政権が発足し、大臣が交代してまもないタイミングで、通信省の職員11人が逮捕されるという一大スキャンダルが発覚した。逮捕されたオンラインカジノの運営者が所持していたスマホの履歴から、違法なサイトを閉鎖する権限を持つチームの職員が、カジノ運営者と頻繁に連絡を取り合い、報酬を受け取っていたことが発覚したのだ。

閉鎖しなければならない5000件のサイトのうち、1000件のサイトだけを残し、さらに通信省外部のサテライトオフィスから、閉鎖されないよう監視していたという。当時の通信大臣の任期は1年にも満たなかったが、逮捕されたチームを採用したのはこの大臣だ。中には公務員テストに不合格だったにもかかわらず採用されたメンバーもいる。

#Kasus komdigi judi online

インドネシアの通信省にはその他にも怪しげなところがあって、やはり数カ月前ぐらいに、一括管理していた国と地方政府のデータサーバーがハッカーに盗まれ、機能不全になったことがあった。バックアップをとっていなかったとか、政権交代の前に不都合なデーターを消すための自作自演であるとか、盗まれたデータは既に落札されているなどという噂がある。

#pusat data nasional diserang

この手の複雑で闇の深い事件は一筋縄で解決できる問題ではない。

それでも、通信省の嘘を暴くIT専門家の動画チャンネルと、元オンラインカジノオペレーターから回心した説教師の知名度が急上昇したこと、

高級腕時計をはめ、高級車を買いあさり、毎月のように海外旅行に出かけたり(それまでは借家に住みオートバイで通勤していたという)通信省若手11人の急上昇な暮らしぶりが(職場でも浮いた存在だったという)ほんの束の間だったことなど、

一般人にとって学ぶところは沢山あったと思う。

【高齢夫婦刺傷】被害夫婦の妻への殺人未遂容疑でインドネシア国籍の男逮捕…近隣住民は安ど(静岡・掛川市)

11月末に、静岡県掛川市で24歳のインドネシア人男性が、高齢夫婦宅に侵入、刃物で切りつけたというニュースがあった。こちらでは、”オンラインカジノで遊ぶ金が欲しくてやったと自白した” と、はっきり書かれているけれど、日本語のニュースでは動機は不明だと書かれているのは何故なのか。ちょっと気になる。



2024-11-10

恋人を車で轢いた男 あり得ない無罪判決の値段

 午前零時過ぎ、ショッピングモールの上階にあるカラオケルームを出たときから激しく言い合いをしていた一組の男女。駐車場に降りるエレベータの中、口だけでは足りなくなったのか、男が女の首を絞めるという暴力沙汰に発展する。逃れようとする彼女の足を蹴って、転倒し、男のシャツを掴んで立ち上がろうとしたその時、男は店から持ち帰った飲み残しのテキーラの瓶底で、彼女の後頭部を二度も打った。

その夜の彼女はショートパンツにノースリーブというファッション。事件後の検死の結果では、頭部や首、腕など体のあちこちに内出血があったという。先に駐車場に着いた彼女は、男の車(車高の高いMPV車)助手席のドアに背中を向けて寄りかかり、その時、友人に”ずっと彼氏に蹴られっぱなしで訳が分からない” というボイスノートを送っている。 

彼女は、助手席側のドアにもたれかかって携帯電話を操作していたか、憔悴しすぎて力が抜けていたのか、男が戻ってきたことに気づいていなかった。男は黙って運転席に座ると、何を思ったのかハンドルを右に切った状態でアクセルを踏んだ。車が不意に走り出したことで、彼女の身体は後輪の下に巻き込まれ、5メートルも引きずられたのだった。

ところがこの男は、倒れて動けない彼女を助けるどころか、スマホを取り出して撮影するという奇行にでる。後に出回ったその動画の中で”自分はたまたま通りかかっただけ。赤の他人だ” と警備員の質問に対し答えている(撮影者である)本人の声や、笑い声も含まれている。”彼女と一緒に店に来たところをみた”と追及されるとようやく関係を認め、荷物スペースに彼女の身体を積み込み駐車場を出た。

そのまま市街内にある病院に直行していたのなら、状況は違っていただろう。しかし、またしても何を思ったのか男は同じ市街地の中にある彼女のアパートメントに向かった。アパートメントのロビーでは、気を失いぐったりとした女性をみて驚いたロビーの警備員や通行人が手伝って、車いすに座らせてくれた。すると男は”ちょっと荷物をとって戻ってくる”と言い残して車に乗り、彼女の部屋のある上階の駐車場へと上がって行いく。

”まさかこのまま置き去りにするつもりじゃないだろうか”尋ねても名前も名乗らない男の行動を不審に思った警備員が、他の警備員が監視カメラで追跡、ゲートにも無線で連絡した。案の定、男は、彼女の部屋に置いてあった自分の荷物を取ったあと、ロビーには寄らず、ゲートに向かったが、出口で警備員に止められ、ロビーに戻された。

気を失ったままの彼女を男の車に積み込み、アパートメントの管理人が運転した。男に運転させると病院に向かうとみせてそのまま逃げる可能性があったからだ。ようやく病院に到着。時すでに遅く、息を引き取ってから30~40分が経過していた。その間男は、パニックになった風を装ったり、子供のように大声をあげて泣きじゃくったりしている監視カメラの映像が残っている。

#Anak DPR bunuh pacar

#Ronald Tannur 

ボカシがかけられてはいるものの監視カメラの映像や加害者自身の撮影した事件直後の凄惨な映像が拡散されていてとても見るに耐えない。メディアに報道されている事件の経過は、様々なバージョンがあって非常に理解しにくいところが多いのでここでは被害者被害者の弁護人による説明に基づいてまとめた。

この加害者の男は、国会委員会の議長を務める大物政治家の長男、株主名簿や会社の役員として名前が記載されるような立派な社会的地位にある31歳(被害者弁護人によると35歳)交際を始めてまだ数カ月であったという被害者(29歳)は、故郷に残した12歳の息子に仕送りをしていた一般人。公平な裁きは下されるだろうか?

被害者弁護人談によれば、事件の取り扱いは最初から加害者に味方する方向だったという。先に加害者は、死因を”多量の飲酒による病死”として警察に届け、警察もその方向で取り扱おうとしていた。法的支援団体の代表でもある被害者弁護人は、法的に、検死を要求する権限を持つ遺族を、干渉や妨害から守り励まし、自ら遺体保管場所の扉の前で二晩寝泊まりして不正が発生しないよう見張ったという。

そのような検死の結果、被害者の死因は、腹部、胸部の大量出血によるものであること、肋骨が6本折れて完全に離れるほどの損傷を受けたこと、腕にははっきりとタイヤの跡が残っていることから、死因は車両に轢かれたことであって、飲酒が直接の原因でないということが明確に証明された。

しかし尚も警察や検察は、死因は病死の結論に導くための誘導質問を繰り返したり、殺人罪でなく暴行罪へのすり替えで刑を軽減させる調査結果を作成しようとしたという。それでも、暴行罪ではなく、殺人罪で最長の懲役12年を求刑するまでにこぎつけることができたのは、被害者の弁護士団の揺るがない正義感と熱意の賜物だ。

にもかかわらず裁判における判決は”被害者を死に至らせる暴行があったことは証明されず、死因は飲酒”(カラオケルームで飲んだアルコールが検出されたため。加害者の申告どおり)として、まさかの”無罪”。被告はその場で手錠を外され、”真実は神様が証明してくれる”などと報道陣の質問にぬけぬけと答え、自由の身になった。

#Kejanggalan Vonis Bebas Ronald Tannur

”この国では議員の家族は法の適用外だ” ”確かな証拠があるのに、無罪ということは、お金をもらっていると公言したのと同じだ” このまさかの無罪判決は、大きな波紋をよんだ。世間の関心の高さを無視した判決に対する不満の声は止まず、多くの有名人がこのテーマを取り上げ、国会委員会がこの判決を下した裁判官の調査を要請したりもした。

#Komisi III DPR bertemu keluarga Dini

それから3カ月後、朗報があった。この無罪判決を下した3人の裁判官と容疑者の弁護士が、最高裁判所監督委員会によって逮捕されたのだった。続いて逮捕された容疑者の母親と、逮捕された女性弁護士の関係は元ママ友という長い付き合い。事件発生の2日後に二人は、裁判をどうするかについて話を決めていたという。

供述によると、容疑者の母親が払った金額は、裁判官一人に対し、金額は1億ルピア(約一千万円)裁判官三人と手数料などを含めて、3.5憶ルピアだったという。また、裁判官にお金を渡す仲介役としてこの女性弁護士と繋がりのあった最高裁判所の元高官が逮捕された。

#3Hakim PN Surabaya ditangkap 

国会議事堂と同じ区域にある超高級住宅街にある、この元高官の4階建ての邸宅に家宅捜索が入り、押収された現金は、ドル、ユーロ、シンガポールドルなどの紙幣で総額1兆ルピア(約100憶円)にも上る。これほど多額の現金が保管されているということは、家宅捜査を実施した側にとっても予想外のことであったという。

#Kejagung sita harta eks petinggi MA

これは地方都市の裁判所で起こった事件だが、その仲介者の所在地はジャカルタ、ということは、この元高官が全国各地の裁判所の窓口になっていた疑いがある。供述によると、この元高官は全国の裁判官のトレーニングと配置を担当する重要な地位を利用し、2012年頃から判決を操作する裏ビジネスをしていた。

自宅にあった巨額の現金はこれまで得た報酬で、おいておくところがないので家に置いてあったのだという。これについて、元法務関係調整大臣がとても気になるコメントをしている。

”以前は、汚職の金があれば、スイス銀行の方からやってきて持って行ってくれたものだが、最近はそのようなサービスがないから置くところに困っているのは確かだ。しかし、1兆ルピアという大金が全てこれまで得たものである筈はなく、これから配るための金だ”

理由はいかんせん、これだけの現金を長い間保管しておくつもりなら地下に金庫室をつくるくらいは何でもないことであっただろうに、何故、こんなにも多額の現金が、エコバックや段ボールに入れられたまま、無造作に書斎らしき部屋の中におかれていたのかは未だ謎である。
一案件の仲介手数料が1億ルピアだとすると、少なくとも100件分にもあたることになるが、これまでいったいどれだけの不正裁判をアレンジした/現在進行中だったことだろう。そして、報酬を受け取った/受け取ることになっていた裁判官がどれだけいることだろう。丁度、10月に政権交代があったばかり。待っていたかのようなタイミングでの逮捕だった。

一度でも賄賂を受け取った裁判官は、次から断ることは難しくなるという。先輩からの指示があったり、口座を貸してくれと頼まれたり、従わざるを得ない場合もある。騒ぎ立てられては困るので、まだ裁判官に成りたてで正義感にあふれる優秀な裁判官はできるだけ地方に配置し、判決調整の需要の高い都市部には、操作しやすい(問題のある)人材を配置するのが当たり前になっているという。

裁判官が逮捕されたことを受けて、無罪判決は無効となり、加害者は再逮捕、暴行罪で懲役5年の刑に服すという。殺人罪で12年の懲役であったはずだなのに、なんと抜け目のないことだろう。川上から川下までと言われるように、需要を素早く察知して必要なサービスを提供するビジネスが確かに存在しており、元高官が一人逮捕されたくらいでは痛くも痒くもないのだろう。公務員も裁判官もただのコマの一つに過ぎないのだ。

こちらでは時々、重要な裁判の様子が中継されるけれど、なるほど陰鬱でボソボソとした話す裁判官が多いのもそのせいなのかもしれないと思った。とはいえ、そうでない裁判官や公務員が全くいないわけではない。そうでなければ、病死と示談で終わっていた事件だったはずだ。

#Uang 1 trilliun di rumah mantan pejabat MA

逮捕された元高官は、2年前に定年退職しているが、定年後の人生を楽しむどころではなく、家に100憶円の現金が置いてあったらきっと夜もおちおち眠れないに違いない。