一夫多妻は合法なのか?スカルノ大統領の妻遍歴
最近、日本人の元夫人が政党を立ち上げたとかでよくその名前を見かける。ステイタスとか、 お金持ちとか、大多数の人が受け入れやすい考え方なのかもしれないけれど、情報が少ないからといって資源が豊かで 裕福な国のイケメン大統領であったかのように解説されるのには違和感を感じざるをえない。 スカルノ大統領は、独立運動の指導者としては偉大な功績を残したが、独立した後の国家元首としてどうだったかというと疑問符がつく大統領だ。経済は困窮、外交は孤立、汚職が蔓延が向けれられるも、反対する者を排除し、終身大統領を認めさせて権力を維持するなど、特に晩年の闇は深い。 宗教的には多妻婚が可能といっても、最高4人までという制限があり、さらに先に娶った妻から許可を得ること、全ての妻を平等に扱わなければならないという条件がある。現代の社会的認識からすると、 全ての妻と平等に接することは無理であることを自覚し、1人の妻にとどまれという教訓なのだという解釈が的を得ているように思うが、 経済的に可能なら4人までは合法という考え方がまだまだ根強い。 合法といってもそれは宗教上の結婚が許されるだけであって、戸籍上の妻はやはり1人しか登録できない。一般的にいって十分な経済力が必須であり、社会的立場のある人物であればなおさら、そのことで評判を落とさないようにしなければならない。 スカルノ大統領は、合計9人(独立運動家時代に3度、大統領在位中に6人)の妻を娶ったとして知られているが、国のリーダーとして模範となるべき大統領の多妻婚が、自動的に国民から祝福されていたわけでは決してなく、常に社会的、宗教的、道徳的、法律的な批判と困惑が伴っていた。 スカルノ大統領の最初の結婚は20歳の時、周囲が決めた恩師の娘との結婚で、相手はまだ十代半ばだった。大学生のスカルノが妻と一緒に住んでいた下宿屋のおかみさんが、二番目の妻となるインギット夫人。 結婚したばかりの幼い妻と上手くいかない悩みごとを聞いてもらっているうちに愛が芽生えたという。お互いが離婚手続きを済ませてからの結婚。 13歳も歳上の妻と暮らしたこの期間、スカルノは活動家として頭角を現し、植民地政府に逮捕され離島で暮らした時にも献身的に彼を支えたことで知られている。 しかし、40歳を過ぎたスカルノは、生徒として夫婦の家の寄宿していた少女、支持者の娘ファトマワティにプロポーズ...