2024-12-21

インドネシア地方首長選挙の真相 ジャカルタでは勝てなかった元大統領の支持する候補者

11月27日に行われたインドネシア全国統一地方首長選挙について、日本語メディアでは ”大統領と元大統領の支持する候補者が勝利”という点に焦点をあてた形で報道されているが、これは、2024年の大統領選挙戦からの流れを抜きにしては理解することができない。

まず、スハルト独裁政権崩壊後、民主化時代の歴代大統領が、自らの後継者を決める大統領選挙や、地方首長選挙に介入し、自身の側近や身内をゴリ押しするというようなことはこれまでになかった。

後の政権の負担にならないよう、重要な決定や人事も、退任間近になれば控えるのが最高権力者としての威厳というもの。少なくとも6代目ユドヨノ大統領は中立の立場を通した。しかし、7代目大統領のジョコ氏は違う。

自身の後継者を決める大統領選挙の選挙運動機関、2023年の後半ごろから始まったジョコ氏の権力の乱用とは、国家予算の私物化、地方首長や警察を動員、ばら撒き・恐喝、データの操作・・・

そのような暴走を許さないという理想に基づいて設置されているのが憲法裁判所だが、現職大統領の違法行為に対しては無力であるということが明らかになった。不正選挙は判決によって証明されず、現役大統領の推薦するプラボゥオ氏とジョコ氏の長男が政権を握ることになった。2024年大統領選挙の結果と茶番だった憲法裁判

残りの大統領任期中を通し、ジョコ氏は選挙関係のある政府機関の報酬アップや表彰、人事の入替えを次々と行った。さらに、自然破壊・国土縮小につながる砂の輸出許可や、実業家の利益にしかならない大規模土地開発を国家プロジェクトに認定すると、国家機関による強制的な土地の取り上げと、地元民との間の紛争が、これまでもあったが更に激しくなった。

その目的は、選挙に協力した側に約束された報酬、又は恩を売る行為であることは明らかで、この報道と同時進行で、ヌサンタラ首都移転計画の杜撰さ、違法鉱山開発の実態、経済効果のない対外債務を無責任に膨らませたこと、大臣や税関職員の汚職の実態も次々と暴露された。

国民はもう以前のように”ジョコウィ大統領”と呼ばなくなった。ジョコ氏が幼い頃、病弱であったために改名したというエピソードを引用し、改名する前の#Mulyonoという名前で呼び捨てにするのがネット民の隠語になっている。

ジョコ氏は、10月で大統領の任期を終えた後、その後もプラボウォ氏を通して権力を維持し、5年後の大統領選挙には、副大統領の長男を大統領に当選させ、ジョコ氏が復権、一族支配を更に推進するという計画を持っている。

地方首長選挙は、その計画のステップとして、ジョコ氏の次男をジャカルタ州か、中部ジャワ州の知事に、そして娘婿を北スマトラ州知事に当選させようとしていた。

最高裁判所による特令に基づいて、法的な年齢条件を満たしていない次男を、地方首長選挙に候補者として登録させることがほぼ決まっていたが、その登録開始日の1週間前、憲法裁判所が、最高裁判所の特令が無効であることを宣言した。

選挙法に関する権限は、法律上、最高裁判所ではなく憲法裁判所のもの。ジョコ氏は、即座に、国会に新しい法律を可決させて、さらに、その憲法裁判所の判決を無効にしようと試みたが、全国一斉”緊急アラームデモ”により阻止されたのだった。法案通過を断念させたエマージェンシーアラームシステムとは

ジョコ氏の次男に代わってジャカルタ州の候補者になったのが、元西ジャワ州知事カミル氏。建設デザイナーで街をおしゃれにするみたいな触れ込みでバンドン市長として有名になった人物だが、特に目覚ましい成果もなく、ジャカルタで闘うのは難しいという評価があった。

しかし与党連合にとって、そんなことはあまり問題にはならなかった。というのも、大統領選挙の際の政党連合(KIM連合・与党連合)に、元アニス派の政党を加え、国会に議席を持つほぼ全ての政党14党が連合を組んで、ジョコ氏の推薦する候補者が、対戦相手なしに勝利できるよう、準備されていたからだ。

ところがこの準備も、憲法裁判所のもう一つの判決、議会議席数の比率を低減する判決によって台無しになった。連合に加わらない只一つの政党、闘争民主党が、単独で候補者を立てることが可能になったのだった。

闘争民主党は、ジョコ氏を政治家として育てた政党でもある。無名の実業家だったジョコ氏を、地方都市の市長から大統領への階段を用意し、2020年にはジョコ氏の長男をソロ市長、娘婿をメダン市長、へと出馬するチケットを与えたのも、闘争民主党だった。

一方で、大統領就任後のジョコ氏は、他の政党と接近し、政権2期目の人事をみれば明らかなように闘争民主党とは相容れない、独自の路線をとるようになっていった。

闘争民主党との敵対関係は、2024年2月の大統領選挙で明確になった。ジョコ氏は、闘争民主党の地盤である中部ジャワ州やスマトラ州で集中的に、村長らを動員しノルマを課し、闘争民主党の票田を徹底的に潰した。村長らを監視し、従わない村長は村予算の不正使用の件で逮捕すると脅すのが、地方警察の役割。

その結果、闘争民主党の候補者、中部ジャワ州知事を二期務めた実力派、ガンジャル氏の得票率結果はたったの16%で大敗するという非常に理不尽な結果に終わったのであった。その後の地方首長選挙でも”ガンジャル化”という造語が使われている。人気のある本命候補者は、権力者から目の敵にされ潰されるという意味をもつ。

ジャカルタ首長選挙前に、本命として名前が挙がっていたのは、大統領選にも出馬したアニス氏、又は、華人系キリスト教徒宗教侮辱罪で2年の実刑を受け刑期を終えているアホック氏。しかし、どちらも、ガンジャル化される可能性が高く、出馬は叶わなかった。

そこで白羽の矢がたったのが、現役大臣でもあったプラモノ氏。ジョコ氏との関係が悪くなく、言うなりでもない全くのノーマークの闘争民主党幹部。副知事候補も元コメディアンでバンテン県で知事の経験もあり、ジャカルタに馴染みのある人物。

与党連合の政党は、カミル氏を支持する約束にはなっているものの、本心では自分たちの党から候補者を出したかった、カミル氏が好きじゃないなど、それぞれの思惑があり、足並みがそろわなかった。

大統領選挙の時と違った点は、調査会社のアンケート結果の足並みがそろっていなかったこともある。一社を除くアンケート調査の結果では、プラモノ候補の方が圧倒的に優利だという結果だった。

ジャカルタ州知事というのは、メディアでの露出度が高く、注目度が高いので、ジャカルタ州知事として全国的な知名度を上げることが、大統領への王道となる。自身が、その王道を通って大統領に上りつめたのだったが、ジョコ氏は、闘争民主党からジャカルタ州知事を出すことをなんとしても阻止したかったようだ。

プラボウォ大統領の方はというと、闘争民主党のメガワティ党首とは長い付き合いで、現在最も国民から支持されている大政党と諍いを起すつもりもない。積極的にカミル氏を応援しているわけでもなさそうだったが、投票日前の、活動禁止期間中には、”カミル氏に投票するよう勧める書面を発行した。

ジョコ氏の後押しで大統領選に当選したプラボウォ氏が、ジョコ氏との間に何らかの約束を交わしていることは周知の事実。就任後も、ジョコ氏に会うため何度もソロ市に足を運んでおり、その直後の行動がいつも注目されている。

この書面が出されたのは、選挙活動禁止期間中であったというところから、相当な焦りが感じられる。ところで、既に大統領であるプラボウォ氏にとって、あれこれ指図してくるジョコ氏は、既にうっとおしい存在であり、表面上は従うようにみせておいて、そのうち手を切る時はそう遠くないのではないかとも言われている(期待されている)

ジャカルタ州知事の選挙結果は、プラモノ氏が一位、二位のカミル氏とは10%以上もの差をつけた。闘争民主党は、ジャカルタの他に、バリ州、バンドン市を含む、全国37州、全国37州の内14州、508の県・市のうち249の地方首長を当選させた。

確かに連立与党の推薦した候補者の方が勝った地域の方が多いが、たった1党だけで闘った闘争民主党は却って、以前より多くの地方首長を当選させている。それは、元大統領の目指す一族支配を拒否する国民の意志表示でもある。

与党連合の支持する候補者が勝利した、中部ジャワ州、西ジャワ州、北スマトラ州、バンテン州などでは、直前のアンケート調査の結果と、投票結果が逆転するという、非常に不自然な結果であった。

そこで出てきた言葉が#Partai choklat「茶色党」の影響。茶色というのは、警察の制服。
元大統領の支持する候補者が勝利した地域は、茶色党の勢力範囲でもあるという話。

前回の大統領選挙の頃はまだ、ジョコ大統領の人気(ばら撒き)のお陰で勝利したと言うこともできたが、元大統領に支持されることが却ってマイナスの影響であることがはっきりとしている今、茶色党の活動に注目があたっている。

ジャカルタ州以外の地方首長選挙結果の話は別に書く。