ろうけつ染めならではの、味のある線で描かれたひし形の真ん中に、規則正しくボタンのように描かれた小さい絵柄。卵、さなぎ、蝶々、といった成長の変化の過程の象徴が繰り返し描かれるデザインは、結婚や出産、卒業、就職など、人生の重要な節目、特に新しい門出を祝う際に着用されるシドムクティと呼ばれる。
それらを囲む四角や丸の単純な線で描かれた幾何学模様は、秩序と安定を表し。蝶々が成長するまでのプロセスが、安定して秩序ある中で行われるようにという願いが込められている。また、図形の内側いっぱいではなく、余白をとって控えめに絵柄が配置されていることにも重要な意味がある。
それは、安定の中にいても奢り高ぶらず、謙虚に忍耐強くプロセスを進みなさいという励まし。
ヤシの実など殻が固く中に空洞のある果実が重なる円形の幾何学模様は、カウンと呼ばれる。円形は人間の一生を表し、固い殻は、自分を守り育ててくれた恩を忘れてはならないという戒め、果実の内側に空洞があるのは、偏った意見や欲望に振り回されることなく、心を空しくして中立であれという意味。
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インドネシアの観光省のホームぺージで紹介されている伝統文化、バティックのデザインについての説明を読んでみたらとても奥が深かった。
元々は王族だけが着用するものであったバテイックが、一般人にも着用されるようになったのは、オランダ植民地統治時代から。伝統衣装として、腰に巻く一枚布として使用されるものであったバティックを現代的にアレンジした、バティックシャツ。ネクタイと同等またはそれ以上のフォーマルな服装として通用するようになったのは、インドネシアの独立・民族主義運動に関係がある。
オランダ人が、権力者の象徴として白いシャツを好んで着用していたのに対抗して、最下層階級として扱われていたインドネシア人が、西洋に同化しない心意気を表すために、知識人や学生たちが、率先してバティックのシャツを着用した。この伝統は、独立を達成した時にも引き継がれている。
現代は、キャビンアテンダントやレストラン店員のユニフォームになったりもしているけれど、一般的には式典や結婚式、会社勤めでもバティック着用が必要な機会は多々ある。また、小学生の頃から、どの学校でも週に一度のバティック着用日があり、その日は校長先生も先生も用務員さんも全員がバティックを着用する。
子供の頃からバティックを着用することで、時と場合と場所(TPO)をわきまえた服装を選ぶことや、礼儀や立ち振る舞い、国民としての意識を高めるという目的、その他にも地域のバティックの職人さんを経済的に支援し、地域の産業振興につなげるという目的がある。
バティックは材質やデザイン、半袖・長袖などによって、セミフォーマルからフォーマルまで様々な使い分けが出来る。安価なプリント生地が圧倒的に多いのはそうだけれど、地位のある人はやはり手の込んだ手作りのバティックシャツを、時と場合に応じて備え、揃えることが紳士のおしゃれになっている。
王宮由来のバティックの他にも、全国に300存在すると言われる民族又は地域によってそれぞれの物語を持つバティックが存在する。漁業中心の地方では、海の生物や波など、海への感謝や畏敬の念を示すもの、平地の広がる穀倉地帯では、豊穣祈願や雨ごいを表す雲の模様、バリでは、ガルーダやバロンといった神話上の生物、古くから貿易の盛んだったジャワ島北岸では、中国やベトナムのデザインの影響もみられる。
大統領が地方を訪問するときは、その地方の伝統的なデザインのバティックを選ぶことが鉄板であるし、国際会議などでも、ネクタイ姿の他国のリーダーたちに交じってバティックを着用することで、自国の文化や伝統を守る姿勢をアピールしている。
シャツとしての型は同じでも、それぞれの民族の伝統的なバティックデザインを許容することによって、アイデンテティーは失わないというところが、インドネシアの国家原則の一つ”多様性の中の統一”の原則とも合致しており、バティックを着用すること自体が、パンチャシラ(国家原則)の精神を表すものだという。
なるほど、伝統保存のために伝統衣装を日常的に着用するというのは、実践が難しい。しかし、現代的な服装にアレンジすれば、着用する機会はずっと増える。ましてやそれが正装とみなされるのであれば、ネクタイ背広よりもずっとオシャレの幅が広がるし、伝統織物の確実な需要が生れる。
バティック式の伝統保存策を着物でも取り入れられたらいいのになあと思う。気候変動を理由に政府が推奨するだけで、ネクタイ背広から切り替える人が一気に増えるような気がする。
(終)